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今も続く「えた・非人」に対する差別の歴史

投稿日:2019年1月31日 更新日:

ほとんどの不動産会社は、不動産協会、宅建協会のいずれかの協会に所属しているのですが、協会からは「同和地区の所在について答えないように」との通知を受けています。

出羽守
いわゆる同和問題です。

 

開業した頃は、同和問題についてあまり知らなかったので、協会からの通知をきっかけに被差別部落について調べたりしてました。

 

えた・非人とは

えたを漢字で書くと「穢多」となります。

他にも穢多を意味する言葉に、長吏、皮田、河原者、非人などがあります。

 

非人は、死体を処理するといった賤業に従事する人や、犯罪を犯した人をいいますが、地方によって穢多を非人と呼ぶこともあるようです。

乞食のことを非人と呼ぶこともあります。

 

「えた非人 社会外の社会」によれば、もともと、平民だった者が非人に落ちた後、平民に戻ることはあったそうです。

しかし、生まれながらの穢多が、平民になれる方法はなかったそうです。

 

江戸時代は、えた・非人に対する行動についても厳しかったようです。

えたと町民が喧嘩をした時のこと、喧嘩の結果えたが死んでしまっため、えた頭が奉行所に訴えると、「えたは、身分が賤しいのでさらに6人が殺されたら訴えろ」との返答でした。

 

えた頭で有名なのは、浅草弾左衛門です。えたのことを弾左衛門と呼ぶこともあったそうです。

弾左衛門が他のえたと違うのは、関東のえたを束ねる由緒あるえただった点です。

 

どのようにして「えた・非人」は生まれたか

えたは、漢字で穢多と書きますが、穢れが多いとは何のことでしょうか。

 

「えた」とは、もとは餌取の意味で、獣類の皮を剥ぎ、肉を断つ屠者のことだ。

『社会外の社会 えた非人』より

 

日本では、肉食の文化が古来からありました。そして、食肉のための屠殺業を行っていたのが、えたの先祖になる人々でした。

やがて仏教とともに殺生禁止の考えが伝来すると、かれらは賤しい人々とされました。

 

家康が肉食を禁止したため、江戸時代の日本人は、肉食の習慣はなかったようですが、古代の日本人は獣の肉を食していました。

日本書紀に肉食を禁ずの記述があるので、この前までは普通に肉食をしていたようです。

 

大化の改新の頃あたりから、牛馬の死に携わる者は、穢れると見なされるようになり、皮革産業を職業とする者は蔑まされるようになりました。

まわりからは蔑まれますが、仕事を独占できるという利益があったため、皮革産業に従事する人が生まれたという説もあります。

 

河原者(えた)の仕事は、死んだ牛馬を解体したり、死体や汚物を片づけることでした。

 

生物の死は、死穢(しえ)といって穢れるとされたため、普通の人は死体に触れることすら嫌がりました。

江戸時代は、農家が飼っていた牛馬が死んだ時は、勝手に片付けることはできず、えたが引き取って解体していたそうです。

 

賤民とされた職業

やがて、えた頭の支配を受ける職業は、賤民といわれるようになりました。

猿楽、田楽、愛染屋、太鼓屋、歌舞伎、陰陽師、石工、鉢叩、鋳物師、能役者、白拍子、禰宜、舞々、連歌師、非人、革屋、獅子舞など。

 

えた・非人というと、貧しいイメージを持つかもしれませんが、裕福に暮らしている者も多かったようです。

米を作る百姓は年内で数えるほどの回数しか米の飯は食えないが、穢多非人は年中じゅうぶんに白米を食べている。いまは武士よりも町人のほうが、白米を食べ、衣類も酒肴も茶菓もよく、その町人よりも穢多非人のほうが贅沢している。

『えた非人 社会外の社会』

 

えたの中には、妾を7,8人持つえたもいたそうです。

なかでも浅草弾左衛門は、皮革産業を一手に引き受けていたので相当裕福だったそうです。

3,000石くらいの収入があったともいわれています。

 

同和問題とは

同和問題というのは、かつてえた・非人にといわれた人々に関する問題をいいます。

 

江戸時代は、身分制度により、えた・非人と呼ばれた人々は、住む場所が決められていました。

えた・非人と呼ばれた人々が住んでいたのが、同和地区とか被差別部落(部落)と呼ばれている地域です。

 

明治時代に発せられた解放令よって、えた・非人の制度はなくなりました。

また、憲法14条には法の下の平等が規定されていて、差別は禁止されています。

 

しかし、被差別部落に対する差別自体は今でも実際に起きており、たびたびニュースで報道されています。

 

土地差別問題

冒頭で不動産業者は、同和地区の所在を聞かれても答えられないとお伝えしましたが、実際には同和地区について問われることは多いです。

 

2007年に起きた土地差別調査では、マンションデベロッパーが取得した土地について、部落のことを調べていたことが明らかになり、国会で取り上げられました。

建売業者が、同和地区かどうか役所に尋ねて問題になったケースもあります。

また、不動産の取引前に、お客さんから同和地区かどうか問われたため、営業マンが役所に問い合わせるといったことはよくあります。

 

不動産取引では、契約の前に重要事項説明が行われますが、重要事項説明では不利な情報についても伝えなければならないことになっています。

例えば、自殺があった物件だったら普通の人は購入しないかもしれません、また、マイホームを建てようと思っている人は建築が出来ない土地を購入しないでしょう。

このように購入の意思を左右する重要な事項について、契約前に重要事項説明で説明しなければならないことになっています。

 

同和地区について偏見をもっている人は、同和地区ということを知っていたら購入しなかったかもしれません。

そういう意味では、同和地区かどうかも購入の意思を左右する重要な事項といえます。

しかし、不動産業者は同和地区だったとしても、同和問題は人権にかかわることなので、そのことについて触れてはいけないことになっています。

 

憲法で法の下の平等が規定されている以上、お客さんが同和地区と知らされていれば買わなかったと裁判所に訴えても、却下されるのが落ちです。

 

差別戒名によって死後まで差別

差別戒名とは、死んだときにつける戒名に、革(エタ・非人が扱うから)、僕(げぼく)、賤(いやしい)、卑(いやしい)、畜(ちくしょう)など、一般の人の戒名には使わない文字が、被差別部落出身の人には使われていたというものです。

きんげ
僧侶というと、人格が優れた人をイメージしてしまう管理人には驚きです。

現代人は、戒名なんて見ても何のことか分かりませんが、当時の人は文字を見れば被差別部落出身かピンときたそうです。

 

差別戒名は、どの宗派でもあったそうです。

 

 

また、部落民が檀家となっている寺を穢多寺(えたじ)と呼んでいました。

江戸時代は、農民は苗字を名乗ることは許されていませんでしたが、実際は先祖から伝わる名字はあったようです。

明治になると名字を名乗るようになるのですが、えた・非人には先祖から伝わる苗字がなかったため、寺の僧侶に決めてもらうといったことが行われました

僧侶の中には、えたに対して、差別名字といわれる部落出身ということが分かるような名前を付けることもあったそうです。

 

 

終わり

明治になって解放令が出されると、各地で反対運動がおこりました。

とくに有名な反対運動の一つが、今の岡山県で起きた美作騒擾です。

1873年(明治6年)に岡山県の美作地方で起こった美作騒擾事件は、18人の部落民が殺され、部落民を襲った首謀者のうちの15人が死刑にあい、2万7千人が処罰の対象となりました。

 

解放令から150年経ちますが……、差別は今もなくなっていません。

 

 

 

参考文献

「被差別部落一千年史」 高橋貞樹著・沖浦和光校注

おすすめ度(5点満点)☆☆☆☆ 名著らしいけど難しい

被差別部落一千年史 岩波文庫 / 高橋貞樹 【文庫】

 

「えた非人 社会外の社会」 柳瀬勁介著・塩見鮮一郎訳

おすすめ度☆☆☆☆ 読みやすい

 

「弾左衛門とその時代」 塩見鮮一郎著

おすすめ度☆☆☆☆ 分かりやすい

 

「弾左衛門の謎」 塩見鮮一郎著

おすすめ度☆☆☆ 分かりやすい、半分は勝扇子事件のこと

 

「知っていますか? 部落問題」 奥田均編著

おすすめ度☆☆☆ 分かりやすいけど同和団体の出版なので主観が偏ってるのは否めない

 

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