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ヒトラーを超える大虐殺を行った「レオポルド二世」(閲覧注意)

投稿日:2018年9月27日 更新日:

ベルギー国王のレオポルド二世は、ヒトラーを超えるほどの数のコンゴ人を大量に虐殺しましたが、日本ではほとんど知られていません。

ヒトラーのホロコーストは学校の授業で必ず勉強しますが、レオポルド二世にいたっては名前すらとり上げられません。

 

ベルギー国王 レオポルド二世(1835-1909)「ダークヒストリー2 図説ヨーロッパ王室史」

 

切り落とされた手首の山

19世紀末、今から100年ほど前にアフリカ大陸にあるコンゴで先住民の手首が大量に切り落とされるという事件が発生。

下の写真に写っているのは、先住民と宣教師ですが、先住民の手には切り落とされた手首が持たされているのがわかります。

この事件が衝撃なのは、この事件の容疑者が一国の国王ということもありますが、何よりひどい残虐行為のうえ、虐殺された人数も膨大な数に及ぶからです。

レオポルド二世がコンゴ自由国を統治した20年で、コンゴの人口は約3000万人から900万人まで減少したといわれています。

ヒトラーが数百万人といわれてますから、レオポルド二世はヒトラーを超える殺戮者といえますね。

 

白人に従わなかったり、意に沿わなければ、例え子供であっても容赦なく虐待が加えられたそうです。

「闇の奥の奥 コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷」

 

男たちが森でゴムを採取しているあいだ、その妻たちは哨兵たちに乱暴され、定められたゴムの生産量に達することができないと、鞭打ち、手足の切断、殴打、家族の殺害といった罰が容赦なく加えられました。

 

レオポルド二世の野望

ベルギーは、1830年に独立したばかりの国で、面積は約3万500平方キロメートル(青森と岩手と宮城を足したくらい)の小国でしたが、レオポルド二世は他の列強に追いつくためにも自分の植民地を探していました。

アフリカというと奴隷貿易が有名で、大航海時代後のアフリカはヨーロッパの列強に植民地にされていたイメージですが、レオポルド二世が即位した頃のアフリカの大半は独立していたそうです。

アフリカ大陸の八十%の土地がヨーロッパ諸国の領有下ではなく、先住民の手に残されたままであったと聞けば、奇異な感じを持つだろう。

「闇の奥の奥 コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷」

 

アメリカ大陸の発見で労働力が必要になり、アフリカを植民地化するよりも黒人を奴隷にして新大陸で売りさばいた方が儲かったため、アフリカ大陸の植民地化が進められていきます。

 

レオポルド二世も、他のヨーロッパ諸国にならって植民地獲得を試みますが、東アフリカや東南アジアでは失敗しています。

 

アフリカ大陸のコンゴに目を付けたレオポルドは、言葉巧みに国際会議で人道者を演じて他の国の代表者をだまし、コンゴ自由国の統治者となります。

その後、自国で奴隷貿易廃止のための会議を開催するなど人道主義を装うことに成功しました。

こうしてレオポルドは、自国の80倍にも上る広大な私的植民地を獲得しました。

 

コンゴの原料ゴム輸出を独占する

オランダが貿易で多額の利益を得ているのを知っていたレオポルドは、コンゴの原料ゴムと象牙の輸出を独占します。

「1887年、イギリス人ダンロップが自転車用の空気入りタイヤを発明し、それが自動車のタイヤにも移されて、爆発的に普及した。乗り心地が断然違うからだ。1885年ドイツのダイムラーとベンツが先鞭をつけたガソリン自動車は米国で大衆的な乗り物として大流行となり、例のフォードのT型車の流れ作業による大量生産も1907年には始まっている。」

「闇の奥の奥 コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷」

レオポルド二世により、コンゴ先住民は象牙や原料ゴムの輸出を禁じられ、先住民は生活のすべてを奪われます。

ちょうどその頃に、自転車用の空気入れタイヤの発明から自動車のタイヤの需要が拡大します。

自動車のタイヤの需要が高まったことで、ゴム原料の需要が急拡大していきました。

 

「コンゴ自由国の原料ゴムの輸出量は飛躍的に伸び、1893年には250トンにも満たなかったのが、1901年には6000トンに跳ね上がった。しかし、社会的には惨憺たる状態であった。コンゴのこうした貿易量急増の裏で、虐待と厳しい搾取の衝撃的な物語が生まれていたのである。」

「ダークヒストリー2 図説ヨーロッパ王室史」

レオポルド二世の植民地支配は人類史上まれにみる残虐さでした。

働けない人々の手首を切断したり、働かない人への見せしめに1日で100人の頭部を切断して見せたといわれています。

 

レオポルド二世、コンゴの虐待行為がばれてしまう

「白人支配者側は、小銃弾の出納を厳しく取り締まるために、銃弾が無駄なく人間射殺のために用いられた証拠として、消費された弾の数に見合う死人の右の手首の提出を黒人隊員に求めた。銃弾一発につき切断した手首一つというわけである。」

「わざわざ殺さずとも、過労から、飢餓から、病気から、人々は死んでいった。生きたまま右手首を切り落とされる者も多数に上った。銃弾と引き換えるための手首に不足はなかったのだ。」

「闇の奥の奥 コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷」

やがてベルギーには、コンゴ先住民への虐待、拷問、強制労働、脅迫、強姦、拉致監禁などの報告が寄せられるようになりました。

1904年にコンゴのイギリス領事ロジャー・ケースメントの報告書によれば、「両手を木に打ちつけられ、手がちぎれるまでライフル銃の台尻で殴られた」、別の村では、3人の幼児と1人の若者と1人の老女が右手を手首から切り取られていたことも発見されています。

コンゴでの虐待がヨーロッパで報道されようになると、最初にイギリスで抗議運動がおこり、やがて抗議運動は各地に飛び火することになります。

最初、ベルギー政府は植民地政策には反対で、レオポルド二世のやり方に対しても傍観の態度をとってましたが、ここまでくると、レオポルドを放っておくわけにはいかなくなります。

 

1908年10月18日、レオポルド二世は、コンゴに対する領有権の譲渡を認めざるをえなくなります。

この結果、コンゴはレオポルド二世の私的植民地からベルギーの植民地となりました。

 

レオポルド二世は、残虐行為が知られたことで、先住民からはもちろんのこと、ベルギー国民からも嫌われるような状態でした。

1909年、レオポルド二世は死亡し、国葬が営まれるのですが、その葬儀では、ブーイングする者や、棺に唾を吐きかける者までいたそうです。

 

 

「ダークヒストリー2 図説ヨーロッパ王室史」が一番わかりやすいと思います。

 

闇の奥という小説があることも知りませんでした。

 

闇の奥の舞台は、コンゴ川流域です。

 

 

参考文献

ブレンダ・ラルフ・ルイス著 樺山紘一監修 中村佐千江訳「ダークヒストリー2 図説ヨーロッパ王室史」

松尾秀哉著「物語 ベルギーの歴史 ヨーロッパの十字路」

藤永茂著「闇の奥の奥 コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷」

C.ホスキンズ著 土屋哲訳 「コンゴ独立史」

 

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